哀愁漂うレスポール修理
普段から接触が悪く予兆はあったが、ついに愛機レスポールのリアPUの音がでなくなった。
それから数日が過ぎ、こいつのサウンドを聞きたいときに聞けないのはストレスでしかない。
直せばいいだけだ、そんなストレスから解放されたかった。
たまたま立ち寄った大手楽器屋で補修パーツを探してみたが、3,000円もしやがる。
馴染みの店のホームページから、安物のトグルスイッチを見繕い注文ボタンをクリックした。
ブツは1,000円ちょっとだったが2,000以上注文しないと送料がかかるようだ、この際キズついたピックガードも交換することにした。
これで送料は無料になったが、週末の発注だったから発送は週明けになった。
今日は火曜、月曜に出荷案内のメールを受信していたから今日中には届くはずだと見込んでいた。
午前4時に目がさめ、おれは朝っぱらからそわそわしていた。
日が昇るころから普段のルーティーンをひと通り済ませ、ブラックコーヒーを何杯胃に流し込んだだろう?
午前11時、最初の一発から数えて3度目のトイレにむかう、いつもよりハイペースだ。
今日は自宅で仕事をしていて、外を走るスーパーカブのエンジン音にいちいち聞き耳をたてるが、まだ我が家の前でスタンドを立てる気配はない。
うちの牧羊犬は何故かほかの宅急便以上に、郵便局だけには狂ったように鬼吠えする、その到着の合図を待ちわびていた。
トイレから戻り、またブラックコーヒーを煎れる。
もちろんインスタントだが、水で溶けるタイプのこれで十分だ。
おれはおもむろに工具箱からハンダごてを取出し、いつでも通電できる状態で作業台の前でスタンバイした。
しかし、いっこうにブツは届かない。
数日前、近所の市営住宅の前を通りがった時だった、郵便局のスーパーカブが横転していて郵送物が散乱している現場に遭遇した。
幸い郵便局員は無事だった。
おれが助ける前にほかの近隣住民たちの手を借り郵送物は無事カブのボックスに収められ、郵便局員はお礼を言って走り去っていった。
もしかしたらおれのブツも今頃どこかで散乱しているかもしれない…と一抹の不安が頭をよぎる。
荷物問合せ窓口に電話をかけようとしたが問合せ番号が分からず、平静を装いながらも半狂乱の精神状態に陥っていたその時、
「落ち着け、おれはずっとここにいるだろ?」
レスポールがおれに囁きかけてきた?
ついに幻聴が聞こえ始めた、末期症状だ。
「そうだな、すこし焦っていたかもしれない」
おれはブラックコーヒーを飲みほし、深く呼吸をして落ち着きを取り戻した。
決してカフェイン中毒者ではない。
その時、乾いた部屋中に着信音が鳴り響いた。
まさか「強風で配達が遅れます」の連絡かと一瞬ヒヤッとしたが、液晶ディスプレイには高校時代からの悪友の名前が表示されていた。
おれはおもむろにスマホを手に取り応答した。
通話がはじまるがしばらく無言だ。
こいつはいつもこうだ、なんのこだわりがあるのか知らんが、無言からはじまる。
しばらくすると、地鳴りのような重低音が聞こえてきた。
やつはイケボを通り越してもはや才能を感じるほどの極太な声帯の持ち主だった。
「あのさあ、おまえの娘、どこの高校いってんの?」
付き合いが長いとこの先の展開を読むのも容易い、どうやらヤツの「息子の進路相談」が本題らしい。
今のおれにとってヤツの息子の進路なんぞしったこっちゃないが、
若き日本の至宝が老害につぶされるのだけはご免こうむりたい。
次期PTA会長の社会的地位に懸けて、この時期に悩んでる場合じゃないことを含め全力で進路指導するが、
「おれより担任に相談しろ」と至極真っ当な結論に至る。
こいつとの会話はいつもこうだ、その会話の結果を左右するのは毎度のことながらおれではない。
だがやつのことは嫌いじゃなかった、もうひとりおれの人生に大きく関わる友がいる。
そう、うちのドラマーだ。
こいつとやつはおれとベクトルは合うが真逆の人格。
この先も決して交わることはない。
そのドラマーが鼓膜をつんざく冷徹なメタルサウンドなら、
やつは不器用ながらも芯の通った図太く甘いレスポールサウンドだ。
それがおれの性にあっているのかもしれない。
おれが結果を左右することはなくても、まさに今おれの目の前でふたつのレスポールが困っているのを黙って見過ごすわけにはいかなかった。
通話が終わり、窓の外をみると街路樹が揺れていて強い風がやむ気配はないが、時折まぶしい日差しがが差し込む。
何度目のブラックコーヒーを煎れた頃だろうか、もはや今日中の到着をのぞむ想いは、諦めに代わっていた。
ふと出荷連絡のメールを見返すと、問合せ番号がのっていたことに気づく。
早速荷物追跡ページで配送状況を確認したおれは目を疑った。
現在のステータスは「引受」。
これは中継所にすら届いていないことを意味する。
老眼鏡をかけてみても、ステータスは間違いなく「引受」だった。
関東で出荷され現時点で中継もされていない、今日中に届かないことがこの瞬間確信にかわった。
もはや絶望するほかおれに選択肢はなかった。
心の中ではわかっている、だれひとり悪くはない、はやる気持ちだけが先走りすぎて、単におれの心が勝手に傷がついただけだ。
おれは通電スタンバイ状態のハンダを静かに工具箱へしまった。
フロントピックアップだけでいいから、あのサウンドが聴きたくなり、おもむろにレスポールを抱こうとしたが、すでにトグルスイッチは取り外した状態だった。
多分鳴らない。
おれは深い闇に沈んだ。
明日こそ、あの極上のサウンドに心満たされることを祈り、おれは何気ない日常に戻った。(続く→)